Talk session





Reflection #1
WMDYWTL?とその文脈:現代のデザインとそれぞれの視点から考える

出演:
イエン・ライナム、後藤哲也鈴木哲生、橋詰宗

進行:室賀清徳

出演者略歴

イエン・ライナム Ian Lynam
グラフィックデザイン、デザイン教育、デザイン研究を横断的に実践するデザイナー。テンプル大学日本校、ならびに、バーモント・カレッジ・オブ・ファイン・アーツ美術学修士課程専攻教授。カリフォルニア・インスティチュート・オブ・アーツ(CalArts)客員審査員。デザインメディアへの寄稿やデザインに関する著作多数。本展では教鞭を執るテンプル大学日本グラフィックデザイン史クラスの学生たちとともに、ZINEを制作展示する。http://ja.ianlynam.com/


後藤 哲也 Tetsuya Goto
デザイナー/キュレーター/エディター。近畿大学文芸学部准教授/大阪芸術大学デザイン学科客員教授。著書に『アイデア別冊 Yellow Pages』、最近の展覧会企画に「GRAPHIC WEST9: Sulki & Min」(京都dddギャラリー)などがある。東アジアおよびヨーロッパを中心にさまざまなデザイナーを取材し、グローバルなデザイン事情の紹介や国際交流に勤める。本展の準備委員会にも参加。https://www.outofoffice.jp/

橋詰 宗 So Hashizume
1978年広島県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)コミュニケーションアート&デザイン修士課程修了。女子美術大学デザイン・工芸学科ヴィジュアルデザイン専攻非常勤講師。多領域のアートディレクション・グラフィックデザインを手がける一方、着目点と実践をテーマにした展覧会やワークショップの企画、教育プログラムの開発などを行う。本展キュレーターのÅbäkeにRCA在学時に学ぶ。https://sosososo.com//

鈴木 哲生 Tezzo Suzuki
グラフィック・デザイナー。1989年神奈川県生まれ。2013年東京芸術大学美術学部デザイン科卒業後、隈研吾建築都市設計事務所勤務を経て、’15年 オランダ KABK デン・ハーグ王立美術アカデミー タイプメディア修士課程を修了。 本展ではコラボレーターとしてプロジェクトの指導にあたる。http://www.tezzosuzuki.com/



世界的なグラフィックデザインの潮流と、社会状況の変化の中で「Which Mirror Do You Want to Lick?( 以下 WMDYWTL?)」はどのように位置付けられるのか。2000 年代から現れ始めたスペキュラティブデザインの先駆けについても触れながら、変容す るグラフィックデザインの役割、価値と作用について、第 1 回が開催されたヨーロッパの デザインシーンから読み解いていく。

室賀 _ はじめに「WMDYWL?」の背景について要約すると、初回で開催地になったのは2016年「ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ(以下ブルノ・ビエンナーレ)」。ワルシャワやラハティ、モスクワ・ビエンナーレなど世界的なデザインの祭典はいくつかありますが、ブルノは1960年代にチェコスロバキアで始まって以来、毎年開催されてきたグラフィックデザイン・ビエンナーレとしては最も古い歴史を持つ祭典で、東西冷戦時代は東西のデザイナーが出会う場所としても機能していました。一方2000年代に入り、ポスターをはじめ、造形的にわかりやすいものを美学的視点で審査すること自体が世の中の実情に合っていないのではないか、と。グラフィックデザインは社会や政治、複雑なコンテクストの中から生まれてきているもので、本来さまざまな様態がある。それを絵画の延長のような形で捉えるのはいかがなものかという考えが出てきました。特に2016年の展示は、キュレータ陣も若いデザイナーを中心とした編成にガラッと変わり、社会性や政治性、テクノロジーの問題を含め社会批評をするような、世の中のコンテクストを捉える動きが出始めていた時期。なので「WMDYWL?」はぱっと見どんなコンセプトで作られているのか、ビジュアルだけ見てもわからない。これを日本に紹介するとなった時、失礼な話ではありますが、正直わかるのかなということを思っていました。

後藤 _ ブルノ・ビエンナーレを取り上げた『アイデアno.376』1 を読み直していたんですが、今回のキュレータでもあるラディム・ペスコがキュレータになった2012年から3回くらい彼らが担当したブルノ・ビエンナーレを見ていくと、必ずしも良い側面だけではないグラフィックデザインのもたらす作用であったりもうひとつの現実がどのように生み出されているのかということがテーマになっていて、デザインを取り巻く背景や環境が重要視されていた。作家性や作品性ではないグラフィックデザインの側面をどのように日本で伝えられるかなということは僕も考えていましたね。

橋詰 _ 今回の「WMDYWL?」会場入口のキャプション 2 にも書いてありますが、ここで展示されているものはアートでもデザインでも構わない、という姿勢。でも明らかに鑑賞者の認識としては「コンテンポラリーアート」を読むような構え方にはなるじゃないですか。けれど絶対的に異なるのは、キャプションの文章量が圧倒的に多いという点。読み解くべき基本条件をクリアしないと先に進めないんですよね。ヨーロッパや北米の文脈からすると慣れ親しんでいる型だと思うのですが、イエンさんはアメリカから日本に来てどう感じたかを伺いたいです。あくまでアートではなくデザインという括りの中で、こういった型の展示をすることを、新しいと感じたのかどうか。

イエン_ 面白いと感じつつ、まったく新しい形でもないかなと。たとえばアメリカのジョン・スエダによる展示「All Possible Futures」(2014年) 3 なども、実現しなかったデザインアイデアが展示されていましたが、今のスペキュラティブデザインの先駆けになる展示は他にもいくつかあったように思います。

室賀 _ 確かにその潮流は2000年代の後半にもあって、AAスクールで開催された展示「Forms of Inquiry」(2007年) 4 も、ひとつの建築というコンテクストにおいて、グラフィックデザインという言語を用いて問題や課題を記述する試みをしていましたね。ただ、これもややこしい話なんですが、「inquiry」という単語が、日本語にしにくい言葉なんですよね。アダム・スミスの『国富論』は英語だと『An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations』ですが、問いかけなんだけど、「Question」と「Answer」における問いではない。もっと生産的なひとつの知の動きのような……。

橋詰 _「Forms of Inquiry」は日本語にすると「問いかけの形」ですかね。起爆剤というか、問うことで何かを消しかける、奮い立たせるというような意味合いがある。

室賀 _ 西洋の文脈の中では「inquiry」していく、ということが自ら世界に対して何か作用を生み出していく、生活も含めた思想や社会に働きかける態度としてあるなと。

橋詰 _ さらに遡るとイギリスをはじめとしたヨーロッパでは「practice」という言葉が2000年代を象徴する言葉としてあるのかなと感じています。当時自分が通っていたロイヤル・カレッジ・オブ・アートの大学院でも、アートに限らずプロダクトや建築、ファッションやインタラクティブデザインにおいて、基本的には「practice」のマインドがあったのではと。極端な例だと、都市部で生活していく中で工夫していかなくてはいけない環境でいきなり水道管が破裂したりなど予期せぬ大変なことも起きた時に、なんとかしなくてはいけない、これはなぜなんだろうと原因を考え工夫していく。日本だと日常レベルでも受け止めてしまうことでも、ロンドンにいるときはなんとかしていかなくてはいけない状況が「practice」という言葉に集約されている気がしました。当時学んでいたアバケのマキからは、ソフィー・カル 5 の作品のオマージュで「人を尾行して記録しなさい」という課題が与えられましたが、尾行してその人が誰かを確かめることが目的ではなく、そう消しかけることで色々なことが発生してくる仕組みを作ろうとしていたのかなと。はじめはなぜ尾行しなきゃいけないのと思うんですけれど。当たり前に存在している日常の世界をどのように捉え直すことができるのか、問い立てをすることに繋がっていく。

室賀 _ アリストテレス以来の理論( theory )に対する実践( practice )という図式ですね。アートでも理念や理論を探求するのではなく、行為や関係性へのシフトが見られたことと関係していると思います。

1『アイデアno.376』(誠文堂新光社、2017)
【巻頭特集】グラフィックデザイナーと展覧会ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレと世界の実践/企画・構成:後藤哲也,アイデア編集部デザイン:加藤賢策,北岡誠吾(LABORATORIES)



2 会場入り口のキャプションそれぞれの課題を通じて作品はどう「翻訳」されたか、「翻訳」を読み解くため鍵となるセンテンス。『Which Mirror Do You Want to Lick?』の展示は、実現しなかったデザイン、架空の作家の作品、フィクションの中の作品など、デザインにおける虚構と現実にある事物や事象によって構成される。これらの作品制作のもとになっているのが41点の「アサイメント」であり、本展に展示されているのは、先行するWMDYWTL?展の出品作を、個々の課題設定をもとに「翻訳」したバージョンである。この印刷物ではアサイメントの原文ならびに、各制作者の「翻訳」の視点とプロセスについて解説している。』

3「All Possible Futures」(2014)
http://allpossiblefutures.net/

4『Forms of Inquiry』(2009)
http://formsofinquiry.com/

5 ソフィ・カル( Sophie Calle )1953年生まれのフランスの芸術家。初期の作品に、ヴェネチアのホテルでメイドとして働きながら、宿泊客を観察した《ホテル》(1981)や、偶然拾った手帳に書かれている連絡先にインタビューし、持ち主の印象を浮かび上がらせた《アドレス帳》(1983)など。80年から作家活動を本格化し、「ゲーム」と呼ぶ自身が決めたルールにのっとって制作を行う。

後藤 _ 展覧会を使って批評的な表現をするという形は90年代後半からあったのかなと思うんですけれど、「WMDYWL?」で面白いなと思った点は、デザイナーの話ではなくなっているところ。制作物やアーティファクト、すでに世の中にある既存の物を並べる形を展覧会としていて、デザイナーの作家性とは全く異なった視点でグラフィックデザインが語られているところが面白い。それまでに開催された批評的な展示も結局はデザイナーが出てきますが、「WMDYWL?」はデザイナーが作ったものも含まれつつも、そうではない物が大半を占めていますよね。

橋詰 _ 今回会場で配られていたハンドアウト 6 を読んでいたんですが、各作品を制作している学生を「デザイナー」ではなく「翻訳者」という肩書きで掲載しているのも特徴的なところかなと。

室賀 _「WMDYWL?」は世界を巡回していく中で、同じ展示作品が再現されるのではなく、「翻訳する」ことで別のバージョンが生まれていくことが特徴でもあると思います。会場も、はじめはグラフィックデザインのビエンナーレ、その後は美術館や図書館で開催したりなど、土地ごとに開催方法や展示の形態が変容している。今回の日本版は初めての英語圏外、かつ教育現場で展示をするという試みでした。象徴的な展示物としては「1940年ヘルシンキオリンピック大会ポスター」と「1940年東京オリンピック」。もともと開催予定だった1940年の東京オリンピックが返上されて、ヘルシンキで開催されることになったものの、結果ヘルシンキも戦争のため延期になって開催されなかった。けれどポスターはデザインされていて、日本版のポスターも作られたらしいことがわかったけれど、現物は手に入らず、今回の会場では雑貨屋に売っていたというレプリカを展示していたりします。かつ二重にややこしいのが、1940年の東京で開催予定だった際、コンペで選ばれたポスターが神武天皇の神話をもとにした物なんだけど、天皇をモチーフに使うのが世界の祭典としてはどうなのかと結局使われなかった案なんですよね。そのうえオリンピック自体も開催されなくなったという複雑な状態なんですね。そういった構造もひとつのテーマになっている。

鈴木 _ 特に使用されなかった神武天皇のポスターはモノクロの図版しか残っていなかったところを、リサーチから検証してシルクで刷っているものですね。

室賀 _『高い城の男』(早川書房、1965年)は第二次世界大戦で日本とドイツが勝ったという架空の歴史を描いているSF小説なんですね。この小説の中で、架空の物語として出てくるのがアメリカが勝利したという『イナゴ身重く横たわる』というSF小説。SF小説の中のSF小説を日本版としてデザインするという構造が面白いものがある一方で、架空のロックバンドを追いかけたモキュメンタリー映画『スパイナル・タップ』(1984年)に関する展示は実際に映画が日本で上映された際に出回った『スパイナル・タップ』日本版のグッズが置いてあるだけだったりする。

橋詰 _ 必ずしも「デザインする」作業だけではなく「探し出す」みたいなことも含まれていますよね。大体40個ほどの作品があって1時間で見ようと思ったらキャプションが相当量あって速読でいかないと間に合わないくらい。キャプションを理解しないと読み解けない。

室賀 _ キャプションヘビーという点も面白いですけどね。これらの展示作品と並行する形でイエンを筆頭に作ってもらったのが日本のデザイン史に対するひとつのオルタナティブリアリティを提示した冊子です。

イエン_ 通常教育の場で教えられるのは正統派の連なりによるデザインの歴史。そういったメジャーヒストリーに対し、歴史のマイナーな側面に着目できないかと思い制作したものです。ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの『カフカ:マイナー文学のために』(1963) 7 という著作がありますが、今回は「マイナーデザイン」のための本を作りました。いわゆる亀倉雄策がデザインした1964年の東京オリンピックのポスターを「Hero object」とすれば、土方重巳による『東宝有楽座No.25』のデザインは「Minor object」。ですが歴史的に見ると、このデザインが『商業デザイン全集』5 (ダヴィット社、1954年)という印刷物に掲載されることで、メジャー化することもある。今回冊子の表紙になっているのは児童科学雑誌『眞理の國』9 (未見社、1954年)で使われていたカバー。デザイナーが不詳で、非常にマイナーと言えるものを選びました。室賀まさにそういった残されてこなかったマイナーデザインを日本中で発掘していく作業から、語られてこなかったもうひとつのデザイン史、「オルタナティブリアリティ」が立ち上がってきているわけですよね。

6 東京藝術大学陳列館入り口で配布されたハンドアウト(A3,コピー用紙など,3枚組)


7 ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの『カフカ:マイナー文学のために』(1963)

後藤 _ 学生のみなさんがふだんどういったものを作っているのかは知らないのですが、そういった「作る」以外の要素も含まれるプロセスをどう受け止めていったんでしょうか。

鈴木 _ 僕らや学生も含め、はじめはどう進めていくべきなのか摑みかねていた部分が大きかったです。藝大生は何かものを作るとなると、みんなグッと集中していけるんですが、「作家性」みたいなものを一回置いて、外からの視点で見るということに慣れていない。内側からオリジナルを生み出すモチベーションが高い分、今回も最初は何か面白いものを「作る」という姿勢がどうしても強かったのではと思います。

橋詰 _ おそらく学生のみなさんが感じていた違和感や難儀していたことって、当たり前なんですけれど「デザイン=何かを作ること」という観念が強かったからなんじゃないかと思うんですよね。今回の展示は見れば見るほど、純粋に創作やデザインという言葉も消失して研究とリサーチが結実した形が大多数かなという気がしましたし、難しいなと思ったのは、とはいえ逆説的ではありますが、デザインしなければ世に出てこないものもあるという点。展示方法をはじめ結果的にはデザインすることがついてまわる。今回展示作品の中でもキーになる「架空の」という言葉について気になっていて、例えば架空の交通安全ポスターを作りましょう、と言われて想像上の交通安全のポスターを作ることと、実在しなかったアーティストの作品を作ることは全く別のものなのかなと思うんですけれど、指標というか、アウトプットについての指示などはあったんですか?

室賀 _ 特になかったですね。ひとつ言えるのは「架空の」というキーワードには「ナラティブ( narrative )」ということが前提にあるということだと思います。イメージや言葉の連なりからなる物語の構造から「翻訳」を立ち上げていく。そのナラティブな試みが架空でも真実でも何かしらの世界を立ち上げるという本質的な部分にフォーカスしたことがコアになっています。同時に、時代背景としてはインタラクティブにSNSや映像の情報編集ができてしまう中で「ポスト・トゥルース( post-truth )」という指標もある中、それをどのように捉え「翻訳」するべきなのか。「翻訳」という行為自体も、何かを人に伝達するシステムのひとつであって、いわゆる言語学的な側面だけでなく、自分の身体スケールで物事を読み取ったり考えていくもうひとつの「言語」があると思います。その両方の「言語」を繋いで考える中でこういった展示に結実していったのではと。

橋詰 _ ネルソン・グッドマンの『世界制作の方法』(筑摩書房、2008) 8 を読んでいるのですが、この中で「我々はバージョンを作ることで世界をつくる」ということが書かれています。「バージョン( version )」の同義語として「ビジョン( vision )」が言及されている。音楽用語で同じ音源からエフェクトを変えたものを「バージョン」と呼びますが、真理といわれるものを突き詰めていくと、ありとあらゆる言語や文化の訛り、地域性に影響されていくことで色々な「バージョン」が生まれていくことがわかります。まさに「WMDYWL?」のことではないかと。ブルノと日本とでは解釈の仕方も視覚的なアウトプットも異なると思うけど、同じインスタラクションだったとしても、翻訳者である日本の学生の解釈が行われることで日本ならではの「バージョン」が生まれ、結果として多様性に繋がっている。以前、雑誌『アイデア』で世界中のデザイナーからデザインのキーになる言葉を集める「アイデアのアイデア」という企画で、エクスペリメンタル・ジェットセットというデザイナーたちが「グラフィコス( gráficos )」という言葉を選んでいたんですね。彼らが書いていたのが、グラフィックの語源には何かを「刻む」という意味があり、いわゆるタトゥーのような不可逆性があると。今回の展示も、誰に言われなければ誰もやらなかったであろうことをわざわざ、この機会を設けてみんながデザインというものに傷(跡)もしくは印をつけて展覧会ができたわけですよね。グラフィックデザインの側面として、今度は「印」をつけたところに意味が生まれてくる。今回こうして展示として定着させることで新たな40通りの考え方が線引きされたということが最もこの展覧会の価値になったのではないかなと思います。

室賀 _ グラフィックデザインに「刻む、印をつける」という意味があるという話はその通りだなと。ただこれは展示に限ったことではなく、職業上使われているデザインも等価にそういった力を内包しているということ。日々のデザイン制作自体が次の社会を形成していく要素であるともいえるわけですよね。そういった一つひとつの選択やアウトプットが世の中をどう作っていくのかに繋がっていくのではないかと思います。

鈴木 _ 今回のように一人一つ、ある時代背景やデザイン、作家について詳しく調べた上で作品を制作すると、学生にとっても今後何かつくる時に比較対象が増えるのではないかなと思います。そして制作している間は「翻訳者」でも、作った後、展示会場では鑑賞者にどう解釈されるか、今度は読まれる側になる。自分達の中にある手癖や日本という文脈の痕跡が記録に残されて、今度は読まれる歴史の一部になるという仕組みがある。それをドシッと受け止められたら良い展示なのではないのかなと。展示の今後に期待です。

8 ネルソン・グッドマンの『世界制作の方法』(筑摩書房、2008)


Reflection #2
WMDYWTL?の全体像とその展開

出演:
Åbäke、ラディム・ペスコ、ゾフィ・デデレン、松下計、鈴木哲生

進行:室賀清徳

出演者略歴


アバケ Åbäke
2000年夏にイギリスで結成されたデザインユニット。デザインの社会性、コラボレーション、文脈に意識をおき、映像、ダンス、読書、食や料理、教育、出版など活動は多岐にわたる。


ソフィ・デデレン Sofie Dederen
ベルギー生まれ。キュレーター。2010年よりベルギーのグラフィックアート専門施設「フランス・マゼレール・センター」のディレクター。


ラディム・ペスコ Radim Pesko
1976年チェコ生まれ。キュレーションや出版プロジェクトを行いながらアムステルダムを拠点に技術と言語の融合をテーマに活動するタイポグラファ、デザイナー。


室賀清徳 Kiyonori Muroga
編集者。「アイデア」前編集長。グラフィックデザイン、タイポグラフィ関連書を中心に編集するほか、評論、講演、教育、キュレーションを国際的に行っている。


鈴木哲生 Tezzo Suzuki
東京藝術大学デザイン科卒業後、隈研吾建築都市設計事務所勤務。2015年KABKデン・ハーグ王立美術アカデミータイプメディア修士課程を修了。グラフィックデザイナー。


松下計 Kei Matsushita
東京藝術大学 デザイン科 第4研究室
Visual Communication Lab教授

2016年「ブルノ・ビエンナーレ」を皮切りにチェコ、フランス、ベルギー、オーストラリア、アメリカを巡回してきた「WMDYWTL?」。1「教育」というコンテクストで東京藝術大学の学生を中心に進められた日本版の展示ではどのように対話とワークショップが重ねられてきたのか。開催地ごとさまざまに「翻訳」され変容してきた展覧会のプロセスと変遷を辿る。

室賀 _ 松下さんには以前、2006年に開催された「ブルノ・ビエンナーレ」で「Graphic Design in the White Cube」というグラフィックデザインの展示方法にフォーカスした企画があり、当時キュレータをしていたピーター・ビラークに松下さんを紹介して参加いただいたことがありました。グラフィックデザインにおいてどういった展示の形式が可能か、ということについて、当時から問われていたと思います。「WMDYWL?」について松下さんにご相談に上がってから2年経ちますが、率直な第一印象や開催を決断された経緯について教えていただけたらと。

松下 _ そうですね。僕が室賀くんと初めて出会った時は大学にまだいなかった頃だと思うのですが、ご縁があって大学で教鞭を執るようになり、17年ほど経ちます。教育現場にいながら感じたのは、日本のデザイン教育がデザインシーンと相似形で硬直しているということ。もともと藝大はクリエイターの情動みたいなもの、個人の感覚を肯定的に受け止める姿勢がありますが、デザインの現場では制作にあたってリサーチする作業は絶対的に必要になります。かといってリサーチで集めた知見をその作品で全てサポートするのも無理がある。双方の要素を編集しないといけないのですが、なかなかメソッドが見つからずに最終的には作家性に落とし込む形になりがち。そういった硬直した状態をとにかく1回揺さぶりたいなという思っていた折、「WMDYWL?」のお話をいただき、新たなデザイン教育の形を実験できたらという思いがありました。

室賀 _ 作家性からなるデザインに対し、データや方法論、エンジニアリング的な仕組みからなるデザインが対極にあるとしたら、そのどちらでもない間、ということですよね。人間性が軸にありつつ編集も客観的なデザインもされていくような。デザイン教育の現場に自分は深く関われていないですが、確かに1960年代から日本の教育システムってあまり変わっていないのかなと雑ばくとした感想は抱いていました。個人のトライはあっても大きなシステムの変革や方法論や体系までいくのは難しい。今回も「教育」というコンテクストを前面に出した良い機会だったと思うのですが、哲生くんの第一印象も聞いても良いですか?

鈴木 _ 僕は2009年に東京藝術大学のデザイン科に入学し、2013年に卒業しているんですけれど、議論したり批評したりということよりも、手を動かすことの方が大事、という教育だったように思います。もちろん卒業後、それが身になったこともたくさんありますが、歴史についての勉強や批評、前提としてどういった潮流がある中に今のデザインがあるのかという把握はできていないなと感じていました。今回の「WMDYWL?」について松下先生からお電話いただいたのは2021年の5月頃。当時はまだほとんど何も決まっていないタイミングでしたが、20世紀のデザインの流れや歴史に触れられるような企画なのかなと思い、僕が学生だったとしても興味深く映るんだろうなと思い、ぜひ、とお返事しました。

室賀 _ 今の話には二重の構造がありそうですね。もともとコンテクストを参照してデザインするというカリキュラムや美術教育の方法論がなかったということと、世の中の「ポストヒストリー」的な空気感。ここ5年10年の話ですけれど、ググってないものは存在しないという割り切りさえあるように感じていて。インスタントな仕組みの中で、先人のやってきたことを特に見なくても、周りの人も知らないことが当たり前の世界で生きていたら、自分も知らなくても不自由はないという姿勢。本当は図書館で調べたり、実際に足でリサーチしていけばリーチできるものはたくさんあると思うんですけれど、時空間の離れた事象やコンテクストをどうやって自分なりに調べて捉えていく方法を勉強することは大事になってくると感じています。そういった状況の中でこの展示が発生したのは面白いですよね。「WMDYWL?」は都市の地域性や時代ごとのコンテクストを重視した上で開催されてきたわけですが、実際にどのように東京に至ったのか、経緯から伺っていきたいと思います。

1 ブルノ・ビエンナーレ」で開催された「WMDYWTL?」第1回のロゴ。開催地ごとにロゴデザインもローカライズされ、変容する。

「ブルノ・ビエンナーレ」で開催された「WMDYWTL?」第1回会場。「Pražák Palac」の風景。

2 フランス・マゼレール・センター( Frans Masereel Centrum )「WMDYWTL?」第3回を開催した会場でありキュレータ、ソフィ・デデレンがディレクターを務めているベルギーの現代アートセンター。https://fransmasereelcentrum.be/nl/

ソフィ _ 発端はディレクターを務めている「フランス・マゼレール・センター」2でアバケのマキと活字についてのマスタークラスを運営していた2014年の年末。ちょうど同時期にブルノ・ビエンナーレのキュレータと展示会について話し合う機会があり、マキがラディムも入れて何か企画を考えたいという話から始まりました。もともと作品が「フランス・マゼレール・センター」で作られたものだったので、チェコで展示した後はベルギーに持ち帰って展示することは考えていたのですが、マキにフランスのコネクションがあったこともあり、ツアーのような形で巡回する展覧会にしようという話が出て。通常は展覧会を巡回するとなると、パッケージングされた全く同じ内容を各地で再現するようなものがほとんど。ですが実際には土地ごとにコンテクストが異なるので、どのようにフィットさせていくことができるかを考えたくなって、現地の人と一緒に制作する、というプロセスを重視する形で開催してきました。

ラディム _ マキに声をかけてもらったのが、ブルノ・ビエンナーレがそれまでの伝統的な形から新たな視点でへの方向転換を模索していた時期。そこから徐々に、話し合いながら企画のレイヤーが深まっていったように思います。特にこのプロジェクトで初めから大切にしてきたのが「翻訳する」というコンセプトです。ビエンナーレの会場から南フランスの現代アート施設で展示した時、メルボルンの個人画廊で展示した時、さらに東京のデザイン教育の現場など、さまざまな土地や開催場所、コンテクストに合わせ、「展示する」という機能を巡回させてきました。

鈴木 _「WMDYWL?」が初めて開催された2016年は大統領選などでフェイクニュースが盛り上がった時期。そういったことに刺激されてアイデアも固まったのかなと想像していたのですが、もう少し前から考えられていたということですよね?「オルタナティブ・ファクト(AltnertiveFact)」や「ポスト・トゥルース(post-truth)」という言葉も2014、2015年にはまだなかったと思いますが、そういった流れと一致したのは偶然というか成り行きだったのでしょうか?

アバケ _ もともとフェイクニュースなどの流れを予期していたわけでも、意図してそのタイミングになったわけでもありません。はじめは「オルタナティブ・ファクト( Altnertive Reality )」をもっと楽観的に考えたいと思っていました。現実とは別の世界を提案したり問いかける、恣意的に考えていくことをポジティブにしたかった。ですがたまたまフランスのニースで展示していた2016年に、フェイクニュースが話題になりました。「翻訳する」というのは現地の言葉に訳すという意味だけではなく、時間もひとつの翻訳の要素。それは「WMDYWL?」に限らず世界を巡回するどの展覧会にも言えることですが、企画自体を時代に寄せていくのではなく、時代的な流れ、社会の動きが企画に組み込まれていったのが面白かったですね。展示の方向性そのものに関しても、ミーティングを介して進化していくのがとても大事なポイントだったと思います。作りながら計画が更新されていきました。

室賀 _ ニースで開催された「WMDYWL?」のキービジュアル 3 に使われているのは映画の『Back to the Future』(1985年)のワンシーンだと思うんですけれど、映画のストーリーとしては1では1985年を舞台に1955年に戻って、2では2015年にいるんですよね。ブルノを開催した時期もちょうどそれくらいの時期だから、展示でも中心的に取り上げられていたのでしょうか?

アバケ _『Back to the Future』については話したいことがたくさんありますね。ビジュアルに使っているのは映画に登場するドク・ブラウンというキャラクターが1955年に『プレイ・ボーイ』1985年10月号を見て驚くシーン。映画制作の現場ではもちろんそのプロップバージョンを使って映画が撮影されている。一方現実の世界にはもちろん1985年10月号の本物があるわけですが、実際に売られている1985年10月号を買ってみたら、偶然、映画の中にも登場するデロリアンというタイムマシンのモデルにもなったデロリアン・モーター・カンパニーの社長のインタビューが掲載されていた。非常に奇妙なシンクロニシティがあり、むしろ現実の世界で奇妙なことが起きているのではないかと。『Back to the Future』は「WMDYWL?」について考えるのにも一役買っているんです。

室賀 _ ちなみに展示ごとにタイトルが変わっているのはなぜでしょうか?フランスで開催された時のタイトルはフランス語の「ladoublure」。4 日本語では「裏地」のような意味を持つ言葉ですよね。服の表面に対して裏面を表すような言葉をひとつのコンセプトとしている?アバケ「ladoublure」はいくつか定義があり、ここでは「スタントマン」のような意味で用いています。フランスのキュレータのエリック・モンジュンが「WMDYWL?」というタイトルを理解しにくい、というところから生まれました。理解されないことによるコラボレーションから生まれる形があるのも面白いし、複数の意味のある言葉こそ面白味が出る。「WMDYWL?」自体、今までは展示会というフォーマットで開催されていますが、今後展示会ではない形も生まれてきても良いのではないかと思っています。

ソフィ _ この展示でも現地の美大生に参加してもらいましたが、彼らはいわば「喋るキャプション」5 のような役割を果たしています。東京での展示との大きな違いは、この時に参加している学生は「喋るキャプション」のために雇った人たちだということ。作品制作には一切関わっていないのですが、ワークショップ内でキャプションを覚えたり、背景について学ぶ機会を設けていました。来場者の方に向けて作品について解説をしていますが、会場ごとにキャプションそのものの形も変容していました。

室賀 _ さまざまな経緯がある中で、はじめ東京で開催するとなったとき、何かオリジナルなアイデアは具体的にあったんでしょうか? 何回かオンラインでミーティングを重ねてはいましたけれど、コロナもあり具体的な方法論がなかなか決まらなくて、実際どうなるんだろうとみんなわからなかったと思うんですよね。最終的に松下さんの方でクラウドファンディングなどの段取りを動かしていただいて実現に至ったんですけれど。学生がローカルに作るというコンセプトを前面に出していこうと切り替わった際、ヨーロッパのキュレータチーム内ではどういう話し合いがあったんでしょうか。

ラディム _ 個人的な話にはなるのですが、今二つの美大で教鞭をとっていて、コロナ禍以降、1年半ほどオンラインでの授業を続けてきました。オンライン上のやりとりは、コミュニケーション手段としてはとても脆く壊れやすい手段な。はじめは一時的な対応だと想像していましたが、未来に向けて新たな方法を考えていきたいという思いがありました。

3 フランスの都市ニースで開催された「WMDYWL?」第2回のキービジュル。本展示のコンセプトにも関係する映画『Back to the Future』(1985)のワンシーンが使用されている。







4 フランス・ニースで開催された「WMDYWTL?」第2回のロゴ。フランス語で「ladoublure」というタイトルが採用された。


5 フランス・ニースで開催された「WMDYWTL?」第2回で「喋るキャプション」としてオープンコールで集められ雇われた現地の美大生たち。

ソフィ _ 「WMDYWL?」がスタートした当初はさほど考えたこともなかった「距離」が、コロナ禍では大きなハードルになりました。オーストラリアもヨーロッパからはかなり離れていていましたが、日本はとても遠い。作品を送る時の困難を乗り越える方法を考えた上で展示を企画しなくてはいけません。一方で現代における気候変動や経済状況など踏まえた社会状況について考えていくと、新しく作品を翻訳する手段が必要だと感じていて、コロナ禍だからこそ、遠いところに届ける必要があるのではとも考えていました。

室賀 _ その仕組みとして「アサインメント(Assignment)」という括りを設けることで「翻訳する」ためにひとつの対話の形式を設計されたわけですよね。それについて松下さんからも質問があると思うのですがいかがでしょうか?

松下 _ 日本の教育現場では教員と学生が問う側と答える側という一方向が主流だと思うのですが、「アサインメント」という形を挟んで、対話を中心として話が進んでいく形にはとても感心して。ひとつ質問したいのが、もしみなさんが日本に来ていたら、どういう形でこの「アサインメント」を使いながら何が起こったのでしょうか?

ソフィ _ 大きな違いは「時間」だと思います。今回のワークショップは3カ月間にわたる期間があったので、振り返る時間も多く取れましたが、もしリモートではなかったとしたら2週間だけなど期間も短期集中型のプログラムになっていたと思います。逆にその場合は反省したり振り返る時間は取れなかったんじゃないかなと。アーティストインレジデンスの運営をしていて感じることでもありますが、2週間でレジデンスすることと長期に渡りレジデンスすることによって作品も変わってくるのではと思います。

松下 _ 確かに、これだけ長い期間をかけて対話するということ自体が珍しいですよね。

鈴木 _ 気になっていたのは、もちろん時間をかけてオンラインセッションできたのはよかったと思うのですが、言葉の問題もあるし、通訳もプロの方ではなく学生が手分けしてやっていて、お互い何を言っているのかわからないこともあったりしたこと。マキ、ソフィ、ラディムが当然知っているよね、というつもりで話したことが学生には全然通じていなかったり。そういうディスコミュニケーションも実際には避けられず起きていたと思うんですよね。それで仕方のないこともあるけど、お互いの勘違いで予想外の作品ができたということもあるし、その良し悪しにはついてはどのように考えられていましたか?

アバケ _ 今回のプロジェクトで一番大事だったのは、信頼関係だったと思います。というのも期間を集中して作品を作る場合は学生が何かを作っているか、今どういう状況かすぐにこちらも確認することができますが、間がひらけば開くほど、学生たちを信頼しなくてはいけない。もともとの展覧会のコンセプトとして「翻訳する」ことがありますが、今までも意図的に別の世界を作り出すこともあったし、ミスリードや誤解から別の世界ができてしまったこともありました。博物館にいくと、たとえば建築史と言われるものの中には一部しか歴史には残されず、一般的な建築は一切記録されていません。正しいか不正解かということではなく、間違いの方が面白いと思っています。

ラディム _ 個人的にはなるべく学生たちに権限を委ねたかったというのもありました。今回のワークショップのメソッドは、「WMDYWL?」日本版のために考えたものだったので、全てに当てはまるわけではないと思いますが、「Comfort Zorn(安全圏)」から離れて学生たちが動くことが大事なのではないかと思います。展覧会の中の作品を説明するということではなく、学生たちがどう捉えたのか。わざとギャップを設けて、その間で学生たちから答えが生み出されることが重要なのではと。

ソフィ _ 逆に私たちは日本のコンテクストについては全て回答することはできないので、学生たちが自分達で解釈できる落とし所を見つけていける仕組みを作りたいと考えていました。それぞれの解釈が作品を作る上でのレイヤーにもなっていたと思うので、とても良い結果になったのではないかと感じています。

松下 _ はじめから僕の中での展覧会のコンセプトは、学生を当事者、主人公にするということひとつだけ。お金集めから広報、人集めに至るまで、プロジェクトに参加するだけではなくプロジェクトを成立させるためのすべてのフェーズを学生に任せていたので、ここまでよくやってくれたなと思っています。そしてこの後、振り返ることでこのプロジェクトはなんだったんだろうということをもう一度学生が反芻することができたらと思います。ありがとうございました。


Reflection #3
WMDYWTL? 当事者の視点、藝大デザイン科第4研究室

出演:
東京藝術大学デザイン科 第4研究室1年(加藤皓之進、邵 琪、浅井 美緒、岩城 花歩、豊口 紫乃、佐藤 由香、武田 栞奈)

進行:鈴木哲生

クラウドファンディングからワークショップのグループ分け、ビジュアル、キャプションにハンドアウトの制作、会場構成から展示の情報設計、広報に至るまで。個別のリサーチと作品制作が進む傍ら、その発端から展覧会を成立させるためにどのような過程があったのか。約30名のメンバーを率いてきた東京藝術大学デザイン科第4研究室1年のコアメンバー7名の話から展覧会の裏側に迫る。

鈴木 _ 第3回ではクラウドファンディング 1 から実施に至るまで、展覧会を組み立ててきた当事者である学生のみなさんに、どのように展示を作ってきたのか、具体的なお話を伺っていきたいと思います。加藤今登壇している7名のコアメンバーは全員大学院修士の1年生なんですけれど、おそらく学生では自分が一番最初にこの話を聞いたのではないかなと思います。実は自分と武田さんは去年大学院に入る予定のところ、コロナの影響で1年休学していて。ちょうど2020年の秋ごろ、松下先生からプロジェクトの話を伺いました。「デザインにおける虚構と現実」をテーマにした展示であるということと、海外からの巡回展と聞いていたので、当たり前のように作品も海外から送られてくるものと思っていたのですが、送られてくる作品はないとわかって。果たしてこれはなんなのだろう、としばらくの間わからなかったですね。

佐藤 _ 私たちを含めた他の学生がプロジェクトについて知ったのは2021年の4月、5月くらいだったと思います。海外とのプロジェクトで11月に陳列館で展示をすることだけは決まっていると。それだけ言われて、概要が共有されたけれど、実際には何をやるのかわからないという状況でした。

浅井 _ 今回登壇しているコアメンバーで集まって、はじめに取り掛かったのはキュレータのアバケから事前に送られてきたアサインメント 2 を全て並べて、詳細はわからないながらにグラフィック系、立体系、プロダクト系を4つのグループに振り分ける作業。似たような傾向がひとつのグループに集中しないように、コアメンバーが2名づつに分かれて、そこに学部の3年生や他学科のメンバーが適材適所に加わっていった形で結果的に全30人ほどで約40点の作品を制作する形になりました。

豊口 _ アバケから課題が送られてきた時、おそらく意図的にだと思うのですが、決して分かりやすい形では提示されていませんでした。手探りで関係がありそうなものをよくわからないながらに調べていくところから始めて。Dグループははじめメンバーも3人しかいなかったので、徐々に増えていって『ワンピース』みたいだったなぁと。

武田 _ 全員がはじめて集合したワークショップの初回のセッションでは、キュレータのみなさんからのフィードバックの情報量に圧倒されたのを覚えています。頭がパンクしそうになりながら、わかるっちゃわかるんだけど、掴みきれていないというところを彷徨いながら進んでいった気がします。

岩城 _「1940年ヘルシンキオリンピック大会ポスター」や「1940年東京オリンピック」など調べるしかないという課題は方向性が決まっていくのも早かったですが、例えば「2020年東京オリンピックのお土産を買ってくる」という課題は東京オリンピックの開催を待ってからでなければ調べられない。リサーチをする時期が重要な作品などは時間もかかりましたね。

加藤 _「ストーン・ヘンジ」という作品も二転三転しました。イギリスとの架空のロックバンドのモキュメンタリーで「スパイナル・タップ」という映画があるんですけれど、映画の中でバンドが演奏するのが「ストーン・ヘンジ」という曲。映画中では実在するストーン・ヘンジと同じ大きさの18フィートのステージセットを作ろうとバンドメンバーが業者に依頼をするんですが、伝達ミスから18インチのストーン・ヘンジが出来上がってしまう。その日本版を作りなさいという課題。巨大な石で作られた遺跡を参照して日本の文脈に移すとしたら古墳の形や、鳥居の形に置き換えるのがいいのではという話も上がりました。セッション中、キュレータ陣とロックバンドとアニミズム信仰の関係性の話で盛り上がり、それなら本物の石で作っちゃったら?という意見をいただいて。二転三転した結果、最終的にシンプルな形に落ち着いた作品が多いなという印象はあります。なんなら一番最初に出していた形から発展して何案も検討した結果、元のスタート地点に戻ってきたものもあって、プロセスとしては面白かったなと。最終形の作品だけ見ても伝わりにくいんですけれど。

鈴木 _ 終盤ギリギリまで迷走していましたよね。さらにワークショップの3カ月間のセッションが終わってから、作品を作る作業と並行して今度は作品の「外側」、つまり展示レイアウトや広報デザインの作業も始まりました。外側を作っていた3つのチーム、ビジュアル班、テキスト班、空間班ではどうでしたか? 空間やテキスト、ビジュアルについてもアバケのマキやソフィ、ラディムとセッションがありましたが、そもそも作品にキャプションを付けるか付けないか、入り口の一番最初にある挨拶文では何を書くのか、展示の形式自体も探り探りで大変だったと思うのですが。

1 ワークショップが進行する傍、資金集めも学生が中心に行い、クラウドファンディングのカウントダウンも個々にアイデアを考え、instagram上で行われた。

2 ワークショップ期間、正確には2回に分け、キュレータであるアバケから全部で41点のアサインメントが提示された。

3 会場で大量の箱椅子とPPバンドを接合することで制作した什器。会期直前まで展示物が決まらない本展示では事前に成果物のサイズを大まかに割り出し、空間制作チームがPC上でのシュミレーションを繰り返し行なって会場構成を検討した。





豊口 _ 最終的に成果物がどういった形になるのか、ギリギリまで決まらないものが多かったので、会場構成 3 を作るといってもなかなか決められないという状態でした。そこで作品がどんな形になっても対応できる融通の効くラフな空間を作ることをコンセプトにしようと。予算も限られていたので、藝大の受験でも使われる大量の箱椅子を300個ほど借りて、ホームセンターなどで売られているPPバンドで接合することで什器も組み立てています。

加藤 _ 会場ではキービジュアルにも使われている「矢印」記号 4 が展覧会において重要なアイテムになっているなと思っていて。デザインをした浅井さんにその意図を伺いたいです。

浅井 _ 今回ビジュアルを作る前提として、キュレータでもあるラディムさんがデザインしたオリジナル書体「Mitim」が与えられていました。私はもともと文字やレタリングがとても好きで、よく作品制作もしているんですけれど、ラディムさんのフォント自体がすでに独自性のあるものだったので、最大限その特性を尊重しながら、フォントを「翻訳する」 5 ことで会場のグラフィックデザインに展開できないかなと。元の書体にあるパレードっぽいキッチュな要素を抽出して、ひとつ目立つシンボルを作ろうと考え会場案内に使用している「矢印」を制作ました。ハンドアウトとビジュアルは富士フィルムさんの協力の下、富士ゼロックスのプリンタで印刷させていただいたんですが、プリンタで刷れる最大のサイズがA3+か、330mm×1200mmの縦長の判型。もちろん予算の都合などもありましたが、あらゆる検討事項や不確定要素が多い中で、そういった外から与えられる制約に助けられた部分も大きいのではないかと思います。制約を上手く取り入れながら、その中でできる最良の方法を見つけて現実と格闘する良い経験になったと思います。

加藤 _ 哲生さんは藝大の卒業生でもありつつ、今回キュレータという形でかなり深いレベルで関わっていただいていましたが、どういったモチベーションを持って参加されていたのか気になります。以前にどんな展示にしていけたら良いかと話していた時に、そもそも哲生さんはふだん学生の展示みたいなものは観に行かないと話されていたことをよく覚えているんですけれど。

鈴木 _ そんなことを言って申し訳なかったなと(笑)。僕、学生の展示に興味ないと言ったかもしれないのですが、学生には興味があるんですよね。というのも10代や20代の人がグラフィックデザインをどういうふうに考えているのか気になっていて。それって一方的にレクチャーしてわかるものでもないし、レクチャーのリアクションを見ただけでもわからない。学生が色々なものを調べながら作ったりしているのを横目で見たり話し合ったりすると、グラフィックデザインは今はこういったものとして捉えられているんだなと。ひとつにはそういう自分の興味がモチベーションとしてありましたね。もうひとつは僕が学部生だったとき、当時の企画理論研究室に赴任した藤崎圭一郎先生の話で「藝大の学生は集中力持って自分の仕事を突き詰めることができるんだけど、相対性がない」という話をしていて。たとえば社会に出た時、(自分に)どういう需要があるのか?みたいなことって、マーケットの地図の中に自分を当てはめて考えることになる。それは社会に出たら考えれば良いという説もあるけれど、もっと広い意味で、例えば自分はどれぐらいアカデミックかコマーシャルなのかとか、日本のドメスティックなものにどれくらい影響を受けてるのか、逆にどれくらいグローバルな視点を持てているのか、どれくらい20世紀に属してるのか、21世紀に属しているか、そういう意識は学生の時にもあってしかるべきことだと思います。リサーチと言われると、モノについて調べることが大事なことだと捉えがちなんだけど。例えば60年代のデザイナーがどんなことをしていたのか、日本と別の政治体制の国におけるグラフィックデザインはどのようなものがあるのか、時代や国ごとのデザインボキャブラリー、技術や常識など、そうした比較対象が増えると、結果的に自分のいる位置が見えてくるという意味で、リサーチって重要なのかなと。もともと自分も藝大出身で、グッと集中してものを作ることは得意。ただ集中力って受験で鍛えたものであって、大学で培ったものではない。じゃあ大学でどういう教育が必要な118のかなと思ったときに、比較できるものをたくさん作ることなのではと以前から思っていたので、そこに加担できる企画であればぜひと松下さんにお返事しました。みんなはマキやラディム、ソフィと話したり、室賀さんと話していくことを通じて、なにか自身を振り返って思ったことはありますか?まだこれからも出てくると思うんですけれど。

豊口 _ 自分はやはりものを作るのが好きなんだなと感じました。もともと藝大はわからなければ作っちゃえ!と手を動かしながら考えるタイプの人が多いので、今思い返せばいつまでも作らせてもらえない、「待て」と言われてリサーチを重ねるという「WMDYWL?」を通して、じっくり調べたり言葉にすることには弱いなとあらためて感じましたね。同時に、結果モノとして成果物ができてきた時、いや、でもここはやっぱり納得いかないと。展示している完成物に対してもクオリティ 6 が低いんだよねとみんな話していて。アウトプットに対して求めている精度、プライドが高いところは藝大生ならではなのかもしれないなと。ただ、私の場合はいつも最終イメージを早い段階で決めすぎていたのかなということも痛感しました。「WMDYWL?」では最後まで何になるか、どういうコンセプトにするかすら決まっていない、わからない状態で進んでいましたが、リサーチをしている分、必然的な形が見出していくことができるのかと。実は普段の自分の制作方法って可能性を狭めていたのかもしれないなということが自分の中で学びでしたね。

岩城 _ 以前、イギリスに留学していたことがあるのですが、当時を思い返すと、考えた瞬間に手を動かして、みんな自分の思考をどんどんアウトプットしていたイメージがあります。1時間とかで作りあげてしまうので、クオリティ面では全然なのですが、結果形にならなくても、その思考や考えの方が重要。私もそういった姿勢を学んだつもりでいましたが、結局帰ってくると自分たちの美意識の許す精度で作らなくてはと、中途半端なものを作るのは恥ずかしいという気持ちになってしまう。自分はとても日本的なんだなと思いましたね。もし藝大ではなく他の大学の学生がつくったら、展示も全く別の形になっていたのではと思います。コアメンバーの中でも隣にいる邵琪は、中国の美大を経て藝大にいますが、考え方がとても面白いと感じました。今回の展示のあり方を根本から考えていて、カッコよければ良い、とはならない。進めようとするたび、何度も「いやちょっと1回話し合おう」と。

邵琪 _ 藝大では個性というか「作家性」が重視されているなと感じていて。一方で今回の展示では「翻訳」がひとつのテーマになっています。その2つの側面とどう付き合うのかというところは大変だったのかなと。レイアウトひとつとってもまぁいいかとなれず、いつも話の流れを戻したりしていて、とても申し訳なさはあったのですが、一つひとつ考えていくとても大事なチャンスだと思っていたので、みんなで一緒に考えることができ、結果として良いものにできたのではないかなと思います。

武田 _ 今回のようにひとつの作品に対し、チームで取り組む環境が今回とても新鮮で、良い意味でそういった考え方の違いを共有して取り入れながらできたのがありがたかったですね。

佐藤 _ 自分にとってもプロセス自体がすごく新鮮でした。実際に今までは学生同士でひとつの議題に対して意見を交わすこと自体があまりなかったので、こんなこと考えているんだと、さまざまな視点を知る機会になりましたし、私自身、相対化してみる視点がまだまだ足りないなという気づくきっかけにもなった。あとは資金集めやクラウドファンディングをはじめ展覧会を開催するとなった時に生じる作業や工程が多すぎる中、鑑賞者の方が来る展示を絶対に良い形にしなくてはいけないという緊張感があって、noteも含めて、各自が担当ポジションで振り分けられたことに対して仕事のようにできたのは良かったなと。

4 キュレータのひとり、ラディム・ペスコによるオリジナルフォント「Mitim」を翻訳し、本展示のサイン計画の中で使用された矢印のデザインと帯状のキービジュアルポスター。(330×1200mm)


5 日本、そして東京藝術大学陳列館という会場で展示をどのように翻訳するのか。空間、ビジュアル、Web、テキスト、それぞれがリファレンス集めや現地調査を行い、Miroをベースに情報共有しながら検討が重ねられた。



6 制作の方針が決まればあとは制作するのみ。クオリティを担保すべく東京藝術大学油絵科のメンバーにも急遽駆けつけてもらい、みるみる間に作品の制作が進んでいった。

鈴木 _ 僕は学部しか経験していないけど、振り返るとクラスメイトたちはほとんどどう感じたかなどの印象の話していなかったと。なかなか具体的な話に発展しない。でも今回のように扱っているモチーフが複雑だと、印象や良い悪いだけだと伝わらないですよね。調べたあらゆる要素、全てをもって議論しないと追いつかない。本来色々なところでそういった議論が起きていいはずなのに、なかなか美大で起きにくい現状があって、やっとそういうことができはじめているのであればとても良いことだなと思いました。今回は他学科の人もたくさんいて、僕も誰が何科かなど分からなかったから、一律にひとりの人だと思って接してたけど、意外とデザイン科ではない異なる文脈を持った人たちもたくさんいると後から知って、面白かったです。

浅井 _ 個人的には、常に作品そのものというより引きの視点を持った室賀さんなど編集者の方がプロジェクトにいたことが新鮮でした。常に第三者の新しい視点、編集者の視点みたいなものが自分の中で違う人格として出来上がったりしたら、もうちょっと客観視して作品をアップデートすることもできるのではないかと。

武田 _ 今回のプロジェクトを経て気がついたのは、自分の考えていることや経験って今までの日本の文化の中、文脈から影響されて培われていっている感覚なんだなと。今まで自分の経験ベースで作品を作ることがほとんどでしたが、自分に向き合うということは、結局は日本に来るまでの海外からきた文化のルーツに向き合うことも含まれていたりする。今後も自分の経験を軸に作品は作っていくと思うんですけれど、やはりリサーチは欠かせないというか、そこまで見ていかないとわからないことがたくさんあるなと感じました。

邵琪 _ 発見だったのは、『WMDYWL?』自体がアバケたちの作品のひとつの形なのかもしれないということです。単純に芸術家が作るものだけではなく、さまざまな事例や出来事を集めてくることだけでも展示は成立するということ。セッションやワークショップの過程や、リサーチしたことを組み合わせたり、展示の形式を模索することでプロセスのデザインをすることが面白いと感じました。

加藤 _ 自分自身コロナ禍で1年休学していましたが、1年経った後もコロナ禍は続いていて、もうだめだと思ったこともありました。そんな時代にこの展覧会を実施できたことはとても大きな意味があるのではと感じています。そして美しいもの、綺麗なもの、売れるものを作っていくことだけではない、デザイナー自身が時代の文脈を読みといくことで作られるデザインの形に触れられたのは本当に良かったなと思います。即効性がある展覧会でないのかなと思いますが、じわじわとこの展覧会に関われて良かったなと思えるときが来たらいいなと思います。ありがとうございました。

7 画面左上から時計回りに、鈴木哲生、豊口紫乃、武田栞奈、加藤皓之進、邵琪、浅井美緒、佐藤由香、岩城花歩